イスラム教について超簡単に書いてみた

イスラム教についてごく簡単に書いてみました。詳しく知りたい方は図書館で文献を探してみてください。

 

 

 

1基本事項

 

 

誕生した時期・・・7世紀

誕生した場所・・・アラビア半島に存在する「メッカ」ムハンマドが生まれた場所。

創始者・・・ムハンマド

聖典・・・「コーラン」(預言者ムハンマドの信者が作成)

聖地・・・メッカ

イスラム教信者のことを「ムスリム」と言う。

 

2誕生背景

 

ムハンマドは元々行商として暮らしていてそこそこ稼いでいた。

40代で洞窟にこもり始める。いろいろ考え事する

なんか急に天使が出てきて「これから神の言葉を伝えるから読め。」と言われる

神から授かった言葉(啓示)を周りの奴らに伝えるようになる。

これがイスラム教の始まり。

 

イスラム半島は元々多神教だったから、イスラム教は最初なかなか定着しなかった。

暗殺されそうになったりするけど、場所を移動しながらイスラム教の拠点を築いていく。

 

ムスリムの掟

イスラム教には、6つの事を信じ、5つの事を守る「六信五行」というものが存在する。

 

六信(6つの事を信じなさい)

 

アッラー 神

2天使

3経典 ※コーラン

預言者

5来世

6天命 ※神の意思がこの世のすべてを決めている

 

五行(5つの事を行いなさい)

 

信仰告白

2礼拝

喜捨

4断食

5巡礼

 

イスラム教の宗派

キリスト教にも、カトリックプロテスタントなど複数の宗派が存在するように、イスラム教にもいくつか宗派が存在する。ここでは主要な2つの宗派について書く。

 

スンニ派(多数派 85%)

 

イスラムの教えを守ればいい。

 

 

シーア派(少数派 15%)

ムハンマドの後継者である4代目アリーは、ムハンマドのいとこ。アリーの死後、「アリーはムハンマドの血を引いていたし、あいつが正式な後継者だ!あいつ以外考えらんない!無理!」となって、そういう人たちが一定数存在してて「アリー党派」みたいなができた。これがシーア派

アリーとアリーの子孫のみが正式な後継者だと主張するのがシーア派イランに多い。

 

 

 

スンニ派(ワッハーヴ派)

 

サウジアラビアの国教。色々と厳しい考えがサウジアラビアには根付いている。

特に女性の権利は制限されていて、働くこともできないし、車の運転もできないし、家族以外の男性には姿を見せてはいけないとか決まりがある。

 

サウジアラビアには法律も国会もない。神の言うことを守ればいいからである。

 

 

5その他基本事項

 

ユダヤ教キリスト教イスラム教も同じ「神」を信じている。

 

 

 

 

【歴史】各国の歴史を超簡単に書いてみた編 イタリア

各国の歴史を超簡単に書いてみたシリーズ、今回はイタリアです。
よろしければぜひ。

 


 
1超簡単に書いてみた


イタリア半島の真ん中らへんに都市国家ローマができる。
ラテン人(イタリア人の一派)が建てた国だったけど、エトルリア人に乗っ取られる。
ラテン人が反発して、エトルリア人の王が戦争へ行っている最中に、王政を廃止して
共和政の国へと変えた。王が戻ってきたら締め出し。

アテネギリシャ)に留学生を送り、法や政治を学ぶ。
徐々に勢力を拡大し、ローマは巨大な帝国となる。地中海世界の王へ。

4世紀にローマ帝国が東西分裂。476年に西ローマ帝国ゲルマン人に滅ぼされる↓
西ローマ帝国が分裂しフランク王国となった。それがまた更に分裂して、フランス・ドイツ・イタリアへ。
東ローマ帝国は位置関係もあって、中東っぽいしギリシャっぽい文化を築く

フランスやイギリスは内乱が起きつつも徐々に政治体制を確立。
イタリアは長い混乱が続き、政治は不安定だった。キリスト教会の本部がある事が
イタリアのヨーロッパで存在感を放つ数少ない要素だった。ルネサンスの発信地になるなど文化面では存在感があった。

フランスや神聖ローマ帝国がイタリアで戦争起こす
その後もスペインに攻め込まれたりナポレオン率いるフランス軍に攻め込まれたり
「イタリア」という国が出来るのは歴史上で見たらつい最近の事

19世紀後半にようやくイタリアという国が出来て統一されるもその後第一次世界大戦に参戦。勝利こそ収めたが大きな被害を受ける

政治が混乱した状態に逆戻り。

第二次世界大戦に参戦し、敗北。
戦後はアメリカ陣営につき、共和国として再スタート。
 
 

【歴史】各国の歴史を超簡単に書いてみた編 アメリカ

 

1超簡単に書いてみた


アメリカ大陸で先住民が生活していた。(通帳:インディアン)

イギリスからキリスト教の新しい宗派、ピューリタンが移り住む。

イギリスからアメリカへ移住した人間vsアメリカを自国の植民地と考えているイギリス人の間で独立戦争が起きる

アメリカ側勝利

国内(北部と南部)で経済や貿易をめぐり対立。南北戦争勃発。
 
アメリカ史上最大の国内戦争となった。
 

19世紀後半にはイギリスを追い抜き世界最大の工業国になる。

蒸気船の燃料となる石炭補給基地を確保するために、
スペインの植民地であったキューバやスペインを解放するという口実で、スペインと戦争を起こす。キューバ保護国化、フィリピンを植民地化する。帝国主義
 

第一次世界大戦で大儲け。1920年代のアメリカはバブル景気。
戦争でボロボロになったヨーロッパの代わりにモノをどんどん生産、輸出。
NYが世界で最大の都市になったりインフラが新しくなったり、フォードの車が普及したり。アメリカ企業の株もどんどん投資家が買う。
 

ヨーロッパがだんだん復活してきて、アメリカの商品が売れなくなる。
売れない商品を販売してるアメリカ企業の株の人気も下がる。

株大暴落。1929年世界恐慌発生。世界が狂い始める。
 

1933年。フランクリン・ルーズベルトニューディール政策を行い経済立て直し。
政府が市場へ介入を積極的にする。復活。

ファシズム(民主主義の否定、自国の民族優先)へ反対。第二次世界大戦へ。

第二次世界大戦勝利。資本主義陣営(アメリカ)と社会主義陣営(ソ連)による世界の二分支配が始まる。アメリカはヨーロッパや日本を支援して自分の陣営を増やそうとする。ソ連も同じ。

1989年 米大統領ブッシュ(父)とソ連ゴルバチョフ大統領が会談を開く。冷戦終結

世界唯一の超大国
↓2001年、9.11同時多発テロ発生。その後イラク戦孫へ。テロリストとの対立もここから深まる。

2008年リーマンショック発生。再び不況へ。米国史上初の黒人大統領が誕生

グローバル化が進み、貧困層や肉体労働者が移民に不満を持つ

トランプが「不法移民の強制送還」などの公約を掲げ、支持を集め、当選。


2最後に


 
読んでいただきありがとうございました 。
 
 
 
 
 

【歴史】各国の歴史を超簡単に書いてみた編 ドイツ

 

1超簡単に書いてみた


西ヨーロッパに、「ケルト人」が生息していた。
→ローマの軍人「カエサル」が征服しライン川をローマとの国境とした。
ライン川の東側(現在のドイツ)にはゲルマン人が生息。
西ローマ帝国(現在の西ヨーロッパ)がゲルマン人に分割される。
 

ピピンが即位。ピピンの息子カールが東方から侵入してきた異民族を撃退したり、
後ウマイヤ朝(現在のポルトガルとスペイン)に攻め込む。
 

カール大帝死後、3人兄弟でフランク王国を分割。長男が死んだあと、
長男の土地を、残った2人(イタリア以外)で分割。
東フランク王国が誕生。これが現在のドイツ。
 

農業が安定。ちょいちょい東側へ侵略を始めるようになる(東方植民)
1410年ポーランドがドイツを撃退し、いったん収まる

異民族の撃退をした功績もあってか、東フランク王国のオットーがローマ教皇からローマ帝国の冠を授けられる。(神聖ローマ帝国の誕生)
 

神聖ローマ帝国の皇帝は、「ローマ」を支配できていなかった。その為アルプス山脈を越え、イタリアへ遠征へ行く。その間皇帝は不在なので、神聖ローマ帝国内で都市が300個くらいできる

カール4世が、皇帝の選挙権を持つ7人の、「選帝侯」という身分を作る。
選帝侯は、強い権力を持つ皇帝を作りたくないので、(自分たちで好き勝手やりたいから)田舎者のハプスブルク家が選ばれる。
 

選帝侯にゴマをすり、各地の権力者とハプスブルクの娘を結婚させ、
土地をもらう。ヨーロッパ最大の貴族へ

ベーメン(現在のチェコ)にフェルディナントが国王として就任。
フェルディナント国王はカトリック以外の信仰を認めず、ここに住んでいた新教徒(プロテスタント)がブチ切れ。「30年戦争」の原因となる。

 
神聖ローマ帝国デンマークスウェーデンと戦争。フランスも参戦。
結局神聖ローマ帝国は敗北。ボロボロになり解体される。150年後くらいにナポレオンに滅ぼされる
 

フランスやイギリスなどが主権国家を築き上げている一方で、神聖ローマはボロボロ。
ドイツは国家形成や海外進出に送れる。

プロイセン(ドイツの領邦)がドイツの中心となる。

オーストリアやフランスとの戦争を経て、「ドイツ連邦」から「ドイツ帝国」へ
「ヴィルヘルム1世」がドイツ皇帝、「ビスマルクが帝国宰相」になる
 

ドイツはフランスと領土問題を巡り、仲が悪い。なのでビスマルクは他国と同盟を結びフランスを孤立させようとする。イギリスとロシアと良好な関係を築き、フランスを孤立させようとしていたが、ビスマルクの死後ヴィルヘルム2世は、ビザンティウムイスタンブール)やバグダードに進出。イギリスの領土であるインドや、南に進出したいロシアと対立する事になる
 

ヨーロッパ各国が植民地獲得の為に躍起になる。それに伴って対立発生
三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)vs三国協商(イギリス・フランス・ロシア)が生まれる。
ドイツはロシアとフランスに挟み撃ちにされる事を恐れ、まずベルギーを攻め、
その後フランスを攻めようと企てた。

サラエボ事件発生。オーストリアセルビアに宣戦布告し、ロシアがセルビアを支援
 

ドイツがこれに乗じてベルギーに攻め込む。第一次世界大戦

ドイツ敗北。戦後、国家予算20年規模の賠償金をふっかけられてズタボロになる。
そんな中、ヒトラーが現れ、支持を集める。国を復活させ更に支持を高める。
 

第二次世界大戦、勃発。再び負ける。

戦後分割され、その後東西ドイツに分かれる。

ベルリンの壁崩壊。ドイツ再統一へ。

EUの中心国となる。
 


 
2最後に


というわけで、超簡単に書いてみました。
歴史を勉強する為には、まずごく簡単な全体像を捉え、その後に細かい部分を勉強していくことが大切だと思っています。
歴史を知る足掛かりとして読んでくれたら幸いです。
 
 
読んでいただきありがとうございました。
 
 
 

【歴史】各国の歴史を超簡単に書いてみた編 フランス

 

1 超簡単に書いてみた


フランス誕生

百年戦争

ブルボン家の独裁

革命

政治不安定

ナポレオン登場

ナポレオン島流しブルボン家復帰

ブルボン家への不満。革命発生。政治不安定。

ナポレオン3世登場。

共和政樹立

ドイツに敗北。ドイツの支配下

戦後、再び共和政へ。


 
2 フランス誕生


古代ローマの時代、現在のフランスは「ガリア」と呼ばれていた

ゲルマン人の大移動が起きる。ゲルマン人の内の1つの部族が、
フランク王国」を建設。現在のフランスの始まりとなる。

イスラム教徒の国がアフリカを超え、フランスまで攻めてくる
フランク王国の宮宰カール・マルテルが撃退。カール・マルテルの息子、ピピン3世がからカロリング朝(751~987)が始まる

カール大帝の時代、イベリア半島まで攻め込んだり東方からの異民族を撃退する。西ローマ皇帝に任命される(実際はただのフランス)

カール大帝が死んだあと、フランク王国が3兄弟に分割される。
西フランク(フランス)、東フランク(ドイツ)、イタリアが成立
 


 
3フランス王朝の始まり(カペー朝 987~1328年)


北欧から攻めてきたノルマン人をユーグ・カペーが撃退。カペー朝が誕生

十字軍に参加し、大損をこく。フィリップ4世は不満を持つ。イギリスとの戦争の軍事費調達の為、聖職者への課税を決定。ローマ教皇(ボニファテイウス8世)はこれに反対。フィリップ4世は国民の支持を集めてこれに対抗。その後ボニファテイウス8世は怒りのあまり死亡。(アナーニ事件)
 


 
百年戦争勃発(ヴァロワ朝1328~1589年)


イギリスとフランスの対立が深刻化。土地の奪い合いによる対立と王位の継承争いが原因で百年戦争(1337~1453)が起きる。
 終盤までイギリスが優位。農民の反乱やペストの流行によりフランスはボロボロ。
オルレアンが最後の拠点となる。もはやこれまでか・・・。と思われたところで奇跡が起きる。農民の娘、「ジャンヌダルク」が登場。彼女を中心とし、オルレアンを奪回。そのまま勢いづき勝利! が、しかし・・・。
 
 
フランスの勝利に貢献した「ジャンヌダルク」だったが、自分の地位が揺らぐことを恐れた王(シャルル7世)は彼女を処刑。わけわかんねえ笑


 
5 独裁政治のはじまり(ブルボン朝1589~1792年)


宗教的混乱により国内で大規模なテロ発生。アンリ3世が死亡し、ヴァロワ朝断絶
血の繋がりがあるブルボン家が王位を継承。(当時のヨーロッパは血縁関係によって王位が継承されていた)ブルボン朝が始まる。
ルイ13世が王位に就いた時代から少しずつ、フランスの王の権力が大きくなる。
三部会(議会のようなもの)を廃止。軍の増強。30年戦争に介入し、フランスの勢力拡大。
 
 ルイ14世の時代。さらなるフランスの勢力拡大を目指した。財務総監コルベールと共に経済を重視した政治を行う。北米に植民地を置く。神学者の考えに則って自分を神の代理人と称した。カルヴァン派キリスト教の宗派)がその考えに反対すると、ルイ14世カルヴァン派の信仰の自由を禁止した。カルヴァン派は怒って国外へ逃げてしまった。彼らの多くは商工業者だったから経済的ダメージがでかかった。
 
 
なのにヴェルサイユ宮殿とか作ってウハウハしちゃってた。国民の不満がジワジワと高まる時期。
この時代、ハプスブルク家とスペインの王位を争って戦争。ヨーロッパの多くの国がハプスブルク家を支援したためフランス敗北。スペインの王位は継承したけど領土をたくさん失う。


 
6 革命発生 混乱の末、ナポレオン登場(1792~1870)


民衆による不満が爆発。フランス革命が起きる。ついにはルイ16世がギロチンで処刑されてしまう。
その後、国内では長い混乱が続く。(ここは複雑なので後日追記します。読みたい人だけぜひ)
 
混乱の時代にフランスを代表する英雄、「ナポレオン」が登場。
国内の政治状況を安定させ、イギリスとの関係も修復。
 
 
革命と戦争を終わらせ、彼は一躍フランスのヒーローとなる・・・はずだった。
 
「彼はフランス革命をヨーロッパ全土に広げる事」を理由として戦争を次々と仕掛ける。次々と勝利を収めるナポレオン軍だったが、ライヴツィヒの戦いで4か国連合軍に敗北。ナポレオンは島流しになったけど、一時脱出。再び軍を整備し、連合軍との戦いに挑むも、イギリスに負け、再び島流しにされ、数年後死亡。
 
晩節を汚しすぎだろ・・・。


 
7 ブルボン朝の復活、共和制、そしてナポレオン3世の登場(1815~1870年)


フランスでは再びブルボン家が王位に復帰。革命によってフランス国民は王を処刑したが、ルイ18世シャルル10世は再び革命前のような、政治を行おうとした。
 
それに対して市民が再びブチ切れ。再び革命が起こる。
んで、まあこの時代にもごちゃごちゃあって(後日追記)ナポレオン三世が登場する。
 
ナポレオン三世は、パリを整備。イギリスと一緒にロシアvsオスマン帝国の戦争に介入して勝利したり、中国へ侵略戦争を仕掛けて勝利するも、最後はドイツに負け、捕虜にされる。


 
 8 国防政府と革命(1870~1871年


ドイツとの戦争が長引くことを恐れてフランスは早々に降参。ナポレオン3世がいなくなっちゃったから臨時政府樹立。ドイツと交渉し、賠償金の支払い&アルザス・ロレーヌ地方を割譲した。
 
このドイツとの交渉に怒ったフランス国民が再びブチ切れ。自治政府を樹立するも、ドイツの協力を得て、臨時政府が軍事的手段によって暴動を収め、血で血を洗う結末となった。


 
9 第三共和政(1870~1940年)


時は流れ20世紀に入ると、フランスはアフリカやベトナムや中国の一部などアジア地域を植民地化する。フランスだけではなく、第二次世界大戦が起こるまでの欧米はみんな感じ。植民地をもってナンボの時代であった。
 
 
その後、フランスは二つの世界大戦に介入。第一次世界大戦ではドイツと戦争。当初はすぐ終わると思われていた戦争だったけど思いのほか泥沼化。最終的にはなんとか持ちこたえ勝利。
 
第二次世界大戦ではドイツに敗北。一時、ドイツとイタリアに占領される。
戦争に負けた事で国民から共和制への非難の声が高まる。こいつらいっつも怒ってんな
 
新しい政府が誕生するんだけど、実際はドイツの思うままの政府。
ドイツに占領されてたからね。


 
 
10 戦争の勝利。第四共和政・第5共和政(1946~現在)


ドイツによって占領されていたフランスだったが、ノルマンディー作戦が成功し、国土を取り戻す。第二次世界大戦は連合国の勝利に終わり、最終的にフランスは勝利する。
 
第二次世界大戦後、新憲法が制定され、第4共和政へ。
第二次世界大戦後もアルジェリアベトナムに植民地を持つフランスだったが、これらの国との間で度々衝突が発生。戦争の敗北もあり植民地をすべて手放すことになった。
 
アルジェリアにて反乱が起き、フランス政府ではそれをコントロールできなくなり第4共和政が倒れる。
 
その後新憲法が制定され、第5共和政の時代へ移り現在に至る。


 
 
11 おわりに


皆さん読んでいただきありがとうございました。
 

【歴史】各国の歴史を超簡単に書いてみた編 ロシア

 

1 超簡単に書いてみた


ノブゴロド国、キエフ公国の誕生

モンゴルに長い間支配される

海外と貿易するため、凍らない港・植民地が欲しい。南下する

これが原因でイギリス・フランス・オスマン帝国などと対立

日本と戦争し敗北。これがきっかけで国は疲弊し、革命起きるが鎮圧

第一次世界大戦へ参戦。また革命が起き、王朝滅亡。ソ連誕生

社会主義を推し進め、スターリン中心に国力増強

ドイツに喧嘩売られ、第二次世界大戦へ参戦し、勝利

戦後、アメリカと世界の覇権を争う

アメリカとの対立に疲れ、降参。民主化市場経済導。ソ連崩壊

ロシア連邦誕生。グルジアクリミア半島併合などプーチンは戦争をまだ続けてる
EUアメリカとの関係も微妙。


 
2 ロシアの始まり、モンゴルの征服(882~1240年・1240~1480年)


・ノルマン人(リューリク)がノヴゴロド国を建てる(ロシアの始まり)

その一族が南へ移動しキエフ公国を建てる。

モンゴルに征服され、併合される。(タタールのくびき)
 
 


3 モンゴルからの独立 モスクワ大公国(1480~1613年)


イヴァン3世の時代にモンゴルから独立。
イヴァン4世の時代、モスクワ周辺のみの支配から徐々に支配地域を広げる。
 
 
毛皮を輸出し、貿易で儲ける為、シベリア遠征を開始した。


 
4 王朝成立からロシア革命まで(1613~1917年)


ロマノフ家がツァーリ(王様みたいなもの)に即位しロマノフ朝が始まる。
ピョートル1世の時代、西洋の発展を知り、ロシアが徐々に西洋化していく。
この頃から、海への出口を争い周辺国と争うようになる。
 
スウェーデンと戦争(北方戦争1700~1721年)し、勝利する。これがロシアが大国化するきっかけとなる。
 
またアラスカに探検家を派遣し、アラスカをロシア領とする。
 
エカチェリーナ2世の時代、クリム=ハン国の併合・ポーランドの分割などを推し進める。
また、この時代に中国(清)やモンゴルとの国境も制定された。
 
19世紀に入り、ヨーロッパでは革命が次々と起きていた。
ロシア帝国はそれが自分の国で起きる事を恐れていた。ロシアは多民族国家だから民主化したら、それぞれの民族が独立を要求して国がバラバラになっちゃう。
だから今でも中国は共産党が押さえつけてるよね。
 
ニコライ1世の時代に革命が起きるも、鎮圧。シベリア送りとなった。
ロシアの併合国だったポーランドでも反乱が起き、鎮圧。
 
19世紀、海への出口を巡り、周辺国と度々戦争をするようになる。
当時の貿易は船が中心なので、海への出口を確保する事が必要になる。
 
ロシアは港をいくつか持っていたけど、冬になると凍ってしまう。
そのため凍らない港を求めて南へ進出した。南へ進出しボスフォラス海峡を目指したいところだけど、そこはオスマン帝国が支配していた。だからロシアはオスマン帝国をやっつける事を目指す。
 
んで、バルカン半島オスマン帝国・地中海周辺で、ロシア・イギリス・フランス・オーストリアの利害が一致し度々戦争が起こる(東方問題)
ロシア→バルカン半島オスマン帝国に支配されている民族の独立支援。凍らない港を求めて南下
オーストリア多民族国家なので、ロシアが民族の独立支援をすると自分の国まで影響受ける事を恐れた
イギリス・フランス→地中海へ出て、エジプトを経由し、インドへの貿易ルートを守りたい
 
※東方問題については長くなるので後日追記
ロシアは南下を目指し度々参戦するが、イギリス・フランスに妨害される。
 
アレクサンドル2世の時代、農奴解放令が発布される。
 
ロシアの村(共同体)に有料で土地を与えた。お金が払えない農民は都市で仕事を探し、工業化、商業化が進む。(イギリスの産業革命が、都市労働者に支えられたのと同じように、ロシアも産業革命を目指すため、農奴制を廃止。)
 
ロシアはイギリスなどの圧力もあってかしばらくの間、バルカン半島、地中海・黒海への南下を諦めざるを得なくなった。
 
1904~1905年、日露戦争勃発。
ロシア→シベリア鉄道を建設。
日本→シベリア鉄道日本海まで面しており、日本の独立が危ないと考えた。
日清戦争に勝利後、遼東半島を拠点にし、ロシア軍に備える。

ロシア→それに気づき、フランスとドイツと共に介入
 
※ドイツを警戒し、ロシアはフランスと同盟を結ぶ。その後、ドイツは自分の植民地政策(3B政策)を進めるため、ロシア・フランスと共に、日本に介入し、挑発。
日本を挑発して日露戦争が起きれば、自分の植民地政策をロシアに邪魔されずに済むからね。
 
日露戦争の最中に革命が起き、国内が大混乱。それがきっかけで日露戦争は終わり、日本側の勝利となる。
 

この敗北をきっかけに国は疲弊し、1917年のロシア革命につながっていく。


 
5 革命発生、ソビエト誕生(1917~1922)


日露戦争への参戦により食糧難に陥る、労働者のストライキ、暴動発生、第1革命が発生。
資本家を味方につけるために、他の西洋諸国と同じように議会を開設。議会開設後、立憲民主党が誕生。
二度と革命が起きないように、農民の土地所有権を認めるなど、改革を進めた。
 
これでロシア帝国は落ち着いた・・・はずだった、
 
数年後、ロシアは第一次世界大戦に参戦。再び食糧危機に陥り、暴動発生。

1917年、立憲民主党が臨時政府を樹立。また、この時にニコライ2世を追い出し、ロマノフ朝の時代が終わる(3月革命)
 

戦争もこれで終わりかと思いきや、フランスから圧力がかかり継続せざるを得なかった。庶民はソヴィエトを結成。臨時政府と対立するも、民衆の支持を得たポリシェヴィキが実験を握り、臨時政府首相は亡命(11月革命)

その後選挙を行うも、ポリシェヴィキは第二党。それに不満を持ったポリシェヴィキのレーニンは軍事力を行使し、第一党の社会革命党を解散させる。
 
 
ポリシェヴィキは共産党に改名。共産党の時代が始まる。
 
1922年、ロシア・ウクライナベラルーシ・ザカフカースの4か国でソ連の結成


 
6 ソビエト誕生、世界のトップの国へ、そして崩壊(1922~1991)


レーニンの死後、派閥争い発生。

トロツキー→ロシアはまだ後進国。イギリス・フランスからの支援を得よう
スターリン→国内建設が優先

共産党書記長のスターリンが派閥争いに勝利。
 
 
イエスマンを周辺に置き、自分の権力を確固たるものとした。
 
スターリンは国内建設を推し進め、国力を増強させた一方で、自分の気に食わない人物を処刑、数百万あるいは数千万の人間をシベリア送りにした。
 
その後時は進み、第二次世界大戦に参戦し、ドイツ相手に勝利する。
 
第二次世界大戦後、世界は、
アメリカを中心とした資本主義陣営と、ソ連を中心とした社会主義陣営に2分され、両者が陣取りゲームを始める。
 
 
アメリカ→ソ連社会主義が広げるのを食い止めたい
ソ連社会主義を広め、自分の支配下にしたい。
 
その後、アメリカと関係が良くなったり悪くなったりを繰り返す。

ソ連共産党の指導者、ゴルバチョフの登場によりソ連民主化が進む。
 
その後1989年ポーランドで自由選挙が行われ、これをきっかけとして東ヨーロッパ革命が次々と起こる。
 
 
ゴルバチョフは、東欧諸国の政府に介入しないと宣言し、それを機に続々と自由選挙が起きる。
 
その後、エリツィンの登場により市場経済へ移行。ソ連も解体された。
 


 
7 ロシアの現在(1992~現在)


エネルギー産業を国有化し、ロシアの権力の座に現在はプーチンが君臨している。
グルジアクリミア半島への介入など戦争は今でもやってる
 
 


8 最後に


読んでいただありがとうございました。
 
 
 

【歴史】各国の歴史を超簡単に書いてみた編 イギリス

 

1超簡単に書いてみた


(※イギリスは、4つの国が集まってできているんだけど、今回は「イギリスの歴史」としてひとくくりで書いていきます
アングロサクソン人が七王国を建設

エグバートって奴が七王国を統一して、イングランド王国を建設

ノルマンディー公がノルマン朝を開く

ノルマン朝の跡継ぎがいなくなり、親戚が継ぎプランタジネット朝を開く
イギリス議会の権力を国王に認めさせる

100年戦争が起きる、フランスと戦争。この年にランカスター朝を開く

100年戦争後ヨーク家がランカスター朝に反乱を起こす。
王位を巡り戦争するも両家の跡継ぎが全員死亡。この両家の共通の親戚のテューダーっつう奴が王位を継ぐ。テューダー朝の始まり

エリザベス1世の時代にテューダー朝は断絶。

スコットランドの王を迎え入れてステュアート朝を開く。
スコットランドイングランドは別の国で歴史や価値観も違うから「議会」の存在を王が認めず、反乱発生

オランダからメアリ2世とウィリアム3世をロンドンに呼び寄せ内乱終了。
王様を迎え入れるときに、議会の承認を条件とした。

アン女王の時代にスコットランドイングランド合併。アン女王の死後、ステュアート朝断絶。遠いドイツの親戚を招く。(ハノーヴァー朝
英語喋れないからますます議会主導で政治が進むことになる。国王はシンボル的存在へなっていく。北アイルランドを合併して連合王国

アジア・アフリカの国々を次々と植民地化。その一方でロシアと領土を巡り戦争したり

19世紀末世界の覇権がイギリスからアメリカに変わる。その後2回の世界大戦に参戦し、勝利するも大きな損害を負う

現在に至る。


 
2ローマによる侵攻からイングランド王国成立まで(43~829年)


ローマに南半分を侵略される(43年)

その後ローマ軍が撤退。今度はアングロサクソン人がやってくる。
そいつらが「七王国ヘプターキー)を作る

「エグバート」っつうやつが七王国を統一し、「イングランド王国」を建設


ノルマン朝成立~プランタジネット朝成立(1066~1154年)


ノルマンディー公ってヤツが、ノルマン朝を開く(1066年)

ノルマン朝が代々支配していたが跡継ぎの男が途絶える。
血縁関係のフランス貴族、ヘンリ2世が王位を継承。プランタジネット朝のはじまり

父ちゃん母ちゃんや妻から土地をもらう。フランスの半分を支配する事になってフランス大慌て。

ヘンリ2世の息子、ジョン王が色々下手をこく(ローマ教皇から破門されたり、土地を失ったり、結婚が決まっていた12歳の女の子と無理やり結婚したり)

フランス遠征の為に課税を行おうとしたら、国民からブーイングくらう。
貴族たちが国王に「大憲章(マグナカルタ)を認めさせた。
これにより、「王が税金を課す時は国全体の協議をして賛成を得られてから」ということになった

 ジョン王の息子、ヘンリ3世がマグナカルタを無視する。
貴族ブチ切れで反乱起こす。騎士や商人を味方にし、議会を開く
エドワード1世の時代に議会が定着 する。


 
百年戦争勃発 プランタジネット朝の崩壊(1154~1399年)ランカスター朝成立(1399~1461年)


イギリスは毛織物、羊毛工業が盛んなフランドル地方を支配しようとしていた。ここを抑えて貿易で儲けようという魂胆だ。当然フランスはここを守りたい。
 
また、王位を争ったのも戦争の原因の1つ。
フランスではカペー朝が断絶。カペー朝のいとこが王位を継ぐんだけど、イギリスも王位を求めた。フランスのフィリップ4世とイギリス王朝が血縁関係にあるからね。
 
で、簡単に言えばこれが主な理由。これが原因で百年戦争が起きた。
最初はイギリスが有利だったんだけど、最終的にフランスが勝って戦争は幕を閉じた。
イギリスはフランスにある領土をほとんど失ってしまう。
 
100年戦争の起きた年にプランタジネット朝は崩壊。
ランカスター朝が1461年まで続く。(1470~1471年の1年だけ一瞬復活)
 
百年戦争が終わった後、ランカスター朝にヨーク家が反乱を起こし王位を争う。
争いの結果、ランカスター家とヨーク家の男子は両方とも死んでしまう。
 
この両家を親戚に持つ、テューダーがヘンリ7世として王になり、この争いは幕を閉じた
テューダー朝が始まる


 
テューダー朝が成立(1485~1603年)


ヘンリ7世の時代、北米沿岸へ人を派遣して探検させた。
スペインの勢力圏にあったので、関係を崩さないためにスペインの王女をイギリスに迎え、ヘンリ7世の長男と結婚させようとした。だけどヘンリ7世の長男は死んじゃったから、ヘンリ8世がスペインの王女を嫁にもらうことになった。
 
ヘンリ8世は渋々、アン・ブーリンと結婚。でもやっぱりどうしても離婚したくなり、ローマ教皇に許可を求めるも、断られる。
 
困ったヘンリ8世は新しく「イギリス国教会」を建設。その後離婚した
 
クッソー離婚したいけどローマ教皇が許可してくれへん。せや自分で教会作ったろ!
 
アン・ブーリンは離婚を嫌がった。すると、牢屋に入れられ、処刑されてしまう。
一方ヘンリ8世は離婚した後ルンルンで結婚したり離婚したり好き放題
 
その後、エリザベス1世の時代にはスペインに対抗するために、オランダの独立戦争を支援したり、北アメリカ大陸に植民地を建設したり。
 
エリザベス1世は、イングランドの独立を守る為、どこの国の王族とも結婚しなかった
だから、「処女王」と呼ばれている


 
ステュアート朝の成立(イングランド国王1603~1714)


エリザベス1世は誰とも結婚しなかったので、テューダー朝は断絶。
イングランドの隣国のスコットランド王ジェームズ1世が即位
 
今のイギリスは4つの国が集まってできている。だからこの頃は、イングランドスコットランドは全く別の国で英語も通じなかった。当然文化や価値観も異なる。
 
チャールズ1世は、議会を解散し自分の権力を拡大しようとした(イングランドの「議会」や「大憲章」を認めなかった)
 
そして当然反乱が起きる。チャールズ1世は渋々議会を開くも、王への批判で大騒動になり一時中断。その後再び議会を開くも、また国王の非難で大騒ぎ。チャールズ1世は議会のリーダーを逮捕しようとしたけど、議員たちも武力で対抗
 
7年間もの間争いが続くことになる(ピューリタン革命)
※この辺は重要事項ではありますが複雑なので後日追記します
 
色々と内ゲバがあった後、オランダ総督の嫁のメアリ2世とウィリアム3世をロンドンに国王として呼び寄せた(名誉革命
 
王を迎え入れる条件として、議会の権利を認めさせた。「議会の同意なしに王は〇〇できない」
 
イギリス憲法はここから生まれた。
 
その後アン女王の時代にイングランドスコットランドが合併する。


 
ハノーヴァー朝(1714~1901年)産業革命 大英帝国の繁栄


アン女王の時代にステュアート朝は断絶。遠いドイツの親戚が国王として招かれ、ハノーヴァー朝が生まれる。
 
彼は英語を喋れなかったから、彼が直接国を支配する事はなくなった。
 
だから実際の政治は内閣が行うようになった。「議院内閣制」は18世紀のイギリスで生まれたもの。
 
また18世紀中ごろに産業革命が起き、ますます国力を増加させる。
18世紀後半にはアメリカがイギリスから独立。
 
19世紀にはアイルランドを合併する。
そして19世紀はイギリスが植民地を拡大し、他の欧米の国々もそれに次いでアジアやアフリカを支配していく。帝国主義の時代だ。
 
19世紀はイギリスの時代だったけど、もうじき20世紀に移り変わろうかという段階でアメリカに覇権を奪われる事になる。


 
ウィンザー朝に改名(1917~現在)二つの世界大戦(1914~)


イギリスは最初、仲停をするために会議を開こうと提案されるけど無視される。
その後、ドイツが中立国のベルギーに攻め入った事を理由に参戦。
 
んで、ドイツと戦う時に、王朝の名前「ハノーヴァー」がドイツ風だと良くないからウインザー朝に改名。
 
本国では、第二次世界大戦の倍以上の人間が戦死し、債務を負ってしまった。
イギリスはアメリカに19世紀末に覇権を奪われたけど、まだまだトップクラスに近い存在感はあった。でもこの第一次世界大戦でだいぶ被害を受けて、国力がダウンしてしまった。
 
イギリス史と言えば、畜生な行動で有名だけどあの悪名高き3枚舌外交を行ったのはこの時。こいつらのせいで中東が今でも混乱しとるんやぞ
 
その後、時代は進み世界は第二次世界大戦の時代へ突入。
ドイツがポーランドに侵攻したことを理由に、イギリスは参戦。
 
第二次世界大戦の最中に既に、アメリカ・ソ連・イギリスは戦後の世界について会談。
 
戦後のイギリスの歴史はめんどいんでまた今度更新します


 
9最後に


読んでいただきありがとうございました。