【歴史】各国の歴史を超簡単に書いてみた編 イギリス

 

1超簡単に書いてみた


(※イギリスは、4つの国が集まってできているんだけど、今回は「イギリスの歴史」としてひとくくりで書いていきます
アングロサクソン人が七王国を建設

エグバートって奴が七王国を統一して、イングランド王国を建設

ノルマンディー公がノルマン朝を開く

ノルマン朝の跡継ぎがいなくなり、親戚が継ぎプランタジネット朝を開く
イギリス議会の権力を国王に認めさせる

100年戦争が起きる、フランスと戦争。この年にランカスター朝を開く

100年戦争後ヨーク家がランカスター朝に反乱を起こす。
王位を巡り戦争するも両家の跡継ぎが全員死亡。この両家の共通の親戚のテューダーっつう奴が王位を継ぐ。テューダー朝の始まり

エリザベス1世の時代にテューダー朝は断絶。

スコットランドの王を迎え入れてステュアート朝を開く。
スコットランドイングランドは別の国で歴史や価値観も違うから「議会」の存在を王が認めず、反乱発生

オランダからメアリ2世とウィリアム3世をロンドンに呼び寄せ内乱終了。
王様を迎え入れるときに、議会の承認を条件とした。

アン女王の時代にスコットランドイングランド合併。アン女王の死後、ステュアート朝断絶。遠いドイツの親戚を招く。(ハノーヴァー朝
英語喋れないからますます議会主導で政治が進むことになる。国王はシンボル的存在へなっていく。北アイルランドを合併して連合王国

アジア・アフリカの国々を次々と植民地化。その一方でロシアと領土を巡り戦争したり

19世紀末世界の覇権がイギリスからアメリカに変わる。その後2回の世界大戦に参戦し、勝利するも大きな損害を負う

現在に至る。


 
2ローマによる侵攻からイングランド王国成立まで(43~829年)


ローマに南半分を侵略される(43年)

その後ローマ軍が撤退。今度はアングロサクソン人がやってくる。
そいつらが「七王国ヘプターキー)を作る

「エグバート」っつうやつが七王国を統一し、「イングランド王国」を建設


ノルマン朝成立~プランタジネット朝成立(1066~1154年)


ノルマンディー公ってヤツが、ノルマン朝を開く(1066年)

ノルマン朝が代々支配していたが跡継ぎの男が途絶える。
血縁関係のフランス貴族、ヘンリ2世が王位を継承。プランタジネット朝のはじまり

父ちゃん母ちゃんや妻から土地をもらう。フランスの半分を支配する事になってフランス大慌て。

ヘンリ2世の息子、ジョン王が色々下手をこく(ローマ教皇から破門されたり、土地を失ったり、結婚が決まっていた12歳の女の子と無理やり結婚したり)

フランス遠征の為に課税を行おうとしたら、国民からブーイングくらう。
貴族たちが国王に「大憲章(マグナカルタ)を認めさせた。
これにより、「王が税金を課す時は国全体の協議をして賛成を得られてから」ということになった

 ジョン王の息子、ヘンリ3世がマグナカルタを無視する。
貴族ブチ切れで反乱起こす。騎士や商人を味方にし、議会を開く
エドワード1世の時代に議会が定着 する。


 
百年戦争勃発 プランタジネット朝の崩壊(1154~1399年)ランカスター朝成立(1399~1461年)


イギリスは毛織物、羊毛工業が盛んなフランドル地方を支配しようとしていた。ここを抑えて貿易で儲けようという魂胆だ。当然フランスはここを守りたい。
 
また、王位を争ったのも戦争の原因の1つ。
フランスではカペー朝が断絶。カペー朝のいとこが王位を継ぐんだけど、イギリスも王位を求めた。フランスのフィリップ4世とイギリス王朝が血縁関係にあるからね。
 
で、簡単に言えばこれが主な理由。これが原因で百年戦争が起きた。
最初はイギリスが有利だったんだけど、最終的にフランスが勝って戦争は幕を閉じた。
イギリスはフランスにある領土をほとんど失ってしまう。
 
100年戦争の起きた年にプランタジネット朝は崩壊。
ランカスター朝が1461年まで続く。(1470~1471年の1年だけ一瞬復活)
 
百年戦争が終わった後、ランカスター朝にヨーク家が反乱を起こし王位を争う。
争いの結果、ランカスター家とヨーク家の男子は両方とも死んでしまう。
 
この両家を親戚に持つ、テューダーがヘンリ7世として王になり、この争いは幕を閉じた
テューダー朝が始まる


 
テューダー朝が成立(1485~1603年)


ヘンリ7世の時代、北米沿岸へ人を派遣して探検させた。
スペインの勢力圏にあったので、関係を崩さないためにスペインの王女をイギリスに迎え、ヘンリ7世の長男と結婚させようとした。だけどヘンリ7世の長男は死んじゃったから、ヘンリ8世がスペインの王女を嫁にもらうことになった。
 
ヘンリ8世は渋々、アン・ブーリンと結婚。でもやっぱりどうしても離婚したくなり、ローマ教皇に許可を求めるも、断られる。
 
困ったヘンリ8世は新しく「イギリス国教会」を建設。その後離婚した
 
クッソー離婚したいけどローマ教皇が許可してくれへん。せや自分で教会作ったろ!
 
アン・ブーリンは離婚を嫌がった。すると、牢屋に入れられ、処刑されてしまう。
一方ヘンリ8世は離婚した後ルンルンで結婚したり離婚したり好き放題
 
その後、エリザベス1世の時代にはスペインに対抗するために、オランダの独立戦争を支援したり、北アメリカ大陸に植民地を建設したり。
 
エリザベス1世は、イングランドの独立を守る為、どこの国の王族とも結婚しなかった
だから、「処女王」と呼ばれている


 
ステュアート朝の成立(イングランド国王1603~1714)


エリザベス1世は誰とも結婚しなかったので、テューダー朝は断絶。
イングランドの隣国のスコットランド王ジェームズ1世が即位
 
今のイギリスは4つの国が集まってできている。だからこの頃は、イングランドスコットランドは全く別の国で英語も通じなかった。当然文化や価値観も異なる。
 
チャールズ1世は、議会を解散し自分の権力を拡大しようとした(イングランドの「議会」や「大憲章」を認めなかった)
 
そして当然反乱が起きる。チャールズ1世は渋々議会を開くも、王への批判で大騒動になり一時中断。その後再び議会を開くも、また国王の非難で大騒ぎ。チャールズ1世は議会のリーダーを逮捕しようとしたけど、議員たちも武力で対抗
 
7年間もの間争いが続くことになる(ピューリタン革命)
※この辺は重要事項ではありますが複雑なので後日追記します
 
色々と内ゲバがあった後、オランダ総督の嫁のメアリ2世とウィリアム3世をロンドンに国王として呼び寄せた(名誉革命
 
王を迎え入れる条件として、議会の権利を認めさせた。「議会の同意なしに王は〇〇できない」
 
イギリス憲法はここから生まれた。
 
その後アン女王の時代にイングランドスコットランドが合併する。


 
ハノーヴァー朝(1714~1901年)産業革命 大英帝国の繁栄


アン女王の時代にステュアート朝は断絶。遠いドイツの親戚が国王として招かれ、ハノーヴァー朝が生まれる。
 
彼は英語を喋れなかったから、彼が直接国を支配する事はなくなった。
 
だから実際の政治は内閣が行うようになった。「議院内閣制」は18世紀のイギリスで生まれたもの。
 
また18世紀中ごろに産業革命が起き、ますます国力を増加させる。
18世紀後半にはアメリカがイギリスから独立。
 
19世紀にはアイルランドを合併する。
そして19世紀はイギリスが植民地を拡大し、他の欧米の国々もそれに次いでアジアやアフリカを支配していく。帝国主義の時代だ。
 
19世紀はイギリスの時代だったけど、もうじき20世紀に移り変わろうかという段階でアメリカに覇権を奪われる事になる。


 
ウィンザー朝に改名(1917~現在)二つの世界大戦(1914~)


イギリスは最初、仲停をするために会議を開こうと提案されるけど無視される。
その後、ドイツが中立国のベルギーに攻め入った事を理由に参戦。
 
んで、ドイツと戦う時に、王朝の名前「ハノーヴァー」がドイツ風だと良くないからウインザー朝に改名。
 
本国では、第二次世界大戦の倍以上の人間が戦死し、債務を負ってしまった。
イギリスはアメリカに19世紀末に覇権を奪われたけど、まだまだトップクラスに近い存在感はあった。でもこの第一次世界大戦でだいぶ被害を受けて、国力がダウンしてしまった。
 
イギリス史と言えば、畜生な行動で有名だけどあの悪名高き3枚舌外交を行ったのはこの時。こいつらのせいで中東が今でも混乱しとるんやぞ
 
その後、時代は進み世界は第二次世界大戦の時代へ突入。
ドイツがポーランドに侵攻したことを理由に、イギリスは参戦。
 
第二次世界大戦の最中に既に、アメリカ・ソ連・イギリスは戦後の世界について会談。
 
戦後のイギリスの歴史はめんどいんでまた今度更新します


 
9最後に


読んでいただきありがとうございました。