【歴史】各国の歴史を超簡単に書いてみた編 ロシア

 

1 超簡単に書いてみた


ノブゴロド国、キエフ公国の誕生

モンゴルに長い間支配される

海外と貿易するため、凍らない港・植民地が欲しい。南下する

これが原因でイギリス・フランス・オスマン帝国などと対立

日本と戦争し敗北。これがきっかけで国は疲弊し、革命起きるが鎮圧

第一次世界大戦へ参戦。また革命が起き、王朝滅亡。ソ連誕生

社会主義を推し進め、スターリン中心に国力増強

ドイツに喧嘩売られ、第二次世界大戦へ参戦し、勝利

戦後、アメリカと世界の覇権を争う

アメリカとの対立に疲れ、降参。民主化市場経済導。ソ連崩壊

ロシア連邦誕生。グルジアクリミア半島併合などプーチンは戦争をまだ続けてる
EUアメリカとの関係も微妙。


 
2 ロシアの始まり、モンゴルの征服(882~1240年・1240~1480年)


・ノルマン人(リューリク)がノヴゴロド国を建てる(ロシアの始まり)

その一族が南へ移動しキエフ公国を建てる。

モンゴルに征服され、併合される。(タタールのくびき)
 
 


3 モンゴルからの独立 モスクワ大公国(1480~1613年)


イヴァン3世の時代にモンゴルから独立。
イヴァン4世の時代、モスクワ周辺のみの支配から徐々に支配地域を広げる。
 
 
毛皮を輸出し、貿易で儲ける為、シベリア遠征を開始した。


 
4 王朝成立からロシア革命まで(1613~1917年)


ロマノフ家がツァーリ(王様みたいなもの)に即位しロマノフ朝が始まる。
ピョートル1世の時代、西洋の発展を知り、ロシアが徐々に西洋化していく。
この頃から、海への出口を争い周辺国と争うようになる。
 
スウェーデンと戦争(北方戦争1700~1721年)し、勝利する。これがロシアが大国化するきっかけとなる。
 
またアラスカに探検家を派遣し、アラスカをロシア領とする。
 
エカチェリーナ2世の時代、クリム=ハン国の併合・ポーランドの分割などを推し進める。
また、この時代に中国(清)やモンゴルとの国境も制定された。
 
19世紀に入り、ヨーロッパでは革命が次々と起きていた。
ロシア帝国はそれが自分の国で起きる事を恐れていた。ロシアは多民族国家だから民主化したら、それぞれの民族が独立を要求して国がバラバラになっちゃう。
だから今でも中国は共産党が押さえつけてるよね。
 
ニコライ1世の時代に革命が起きるも、鎮圧。シベリア送りとなった。
ロシアの併合国だったポーランドでも反乱が起き、鎮圧。
 
19世紀、海への出口を巡り、周辺国と度々戦争をするようになる。
当時の貿易は船が中心なので、海への出口を確保する事が必要になる。
 
ロシアは港をいくつか持っていたけど、冬になると凍ってしまう。
そのため凍らない港を求めて南へ進出した。南へ進出しボスフォラス海峡を目指したいところだけど、そこはオスマン帝国が支配していた。だからロシアはオスマン帝国をやっつける事を目指す。
 
んで、バルカン半島オスマン帝国・地中海周辺で、ロシア・イギリス・フランス・オーストリアの利害が一致し度々戦争が起こる(東方問題)
ロシア→バルカン半島オスマン帝国に支配されている民族の独立支援。凍らない港を求めて南下
オーストリア多民族国家なので、ロシアが民族の独立支援をすると自分の国まで影響受ける事を恐れた
イギリス・フランス→地中海へ出て、エジプトを経由し、インドへの貿易ルートを守りたい
 
※東方問題については長くなるので後日追記
ロシアは南下を目指し度々参戦するが、イギリス・フランスに妨害される。
 
アレクサンドル2世の時代、農奴解放令が発布される。
 
ロシアの村(共同体)に有料で土地を与えた。お金が払えない農民は都市で仕事を探し、工業化、商業化が進む。(イギリスの産業革命が、都市労働者に支えられたのと同じように、ロシアも産業革命を目指すため、農奴制を廃止。)
 
ロシアはイギリスなどの圧力もあってかしばらくの間、バルカン半島、地中海・黒海への南下を諦めざるを得なくなった。
 
1904~1905年、日露戦争勃発。
ロシア→シベリア鉄道を建設。
日本→シベリア鉄道日本海まで面しており、日本の独立が危ないと考えた。
日清戦争に勝利後、遼東半島を拠点にし、ロシア軍に備える。

ロシア→それに気づき、フランスとドイツと共に介入
 
※ドイツを警戒し、ロシアはフランスと同盟を結ぶ。その後、ドイツは自分の植民地政策(3B政策)を進めるため、ロシア・フランスと共に、日本に介入し、挑発。
日本を挑発して日露戦争が起きれば、自分の植民地政策をロシアに邪魔されずに済むからね。
 
日露戦争の最中に革命が起き、国内が大混乱。それがきっかけで日露戦争は終わり、日本側の勝利となる。
 

この敗北をきっかけに国は疲弊し、1917年のロシア革命につながっていく。


 
5 革命発生、ソビエト誕生(1917~1922)


日露戦争への参戦により食糧難に陥る、労働者のストライキ、暴動発生、第1革命が発生。
資本家を味方につけるために、他の西洋諸国と同じように議会を開設。議会開設後、立憲民主党が誕生。
二度と革命が起きないように、農民の土地所有権を認めるなど、改革を進めた。
 
これでロシア帝国は落ち着いた・・・はずだった、
 
数年後、ロシアは第一次世界大戦に参戦。再び食糧危機に陥り、暴動発生。

1917年、立憲民主党が臨時政府を樹立。また、この時にニコライ2世を追い出し、ロマノフ朝の時代が終わる(3月革命)
 

戦争もこれで終わりかと思いきや、フランスから圧力がかかり継続せざるを得なかった。庶民はソヴィエトを結成。臨時政府と対立するも、民衆の支持を得たポリシェヴィキが実験を握り、臨時政府首相は亡命(11月革命)

その後選挙を行うも、ポリシェヴィキは第二党。それに不満を持ったポリシェヴィキのレーニンは軍事力を行使し、第一党の社会革命党を解散させる。
 
 
ポリシェヴィキは共産党に改名。共産党の時代が始まる。
 
1922年、ロシア・ウクライナベラルーシ・ザカフカースの4か国でソ連の結成


 
6 ソビエト誕生、世界のトップの国へ、そして崩壊(1922~1991)


レーニンの死後、派閥争い発生。

トロツキー→ロシアはまだ後進国。イギリス・フランスからの支援を得よう
スターリン→国内建設が優先

共産党書記長のスターリンが派閥争いに勝利。
 
 
イエスマンを周辺に置き、自分の権力を確固たるものとした。
 
スターリンは国内建設を推し進め、国力を増強させた一方で、自分の気に食わない人物を処刑、数百万あるいは数千万の人間をシベリア送りにした。
 
その後時は進み、第二次世界大戦に参戦し、ドイツ相手に勝利する。
 
第二次世界大戦後、世界は、
アメリカを中心とした資本主義陣営と、ソ連を中心とした社会主義陣営に2分され、両者が陣取りゲームを始める。
 
 
アメリカ→ソ連社会主義が広げるのを食い止めたい
ソ連社会主義を広め、自分の支配下にしたい。
 
その後、アメリカと関係が良くなったり悪くなったりを繰り返す。

ソ連共産党の指導者、ゴルバチョフの登場によりソ連民主化が進む。
 
その後1989年ポーランドで自由選挙が行われ、これをきっかけとして東ヨーロッパ革命が次々と起こる。
 
 
ゴルバチョフは、東欧諸国の政府に介入しないと宣言し、それを機に続々と自由選挙が起きる。
 
その後、エリツィンの登場により市場経済へ移行。ソ連も解体された。
 


 
7 ロシアの現在(1992~現在)


エネルギー産業を国有化し、ロシアの権力の座に現在はプーチンが君臨している。
グルジアクリミア半島への介入など戦争は今でもやってる
 
 


8 最後に


読んでいただありがとうございました。